川尻筆

川尻筆の始まりは江戸時代末期まで遡ります。1838年(天保9年)川尻(現在の広島県呉市川尻町)の筆商・菊谷三蔵が、摂州(現在の兵庫県)の有馬まで出向いて筆を仕入れ、寺子屋などに持ち込み販売を始めました。菊間は商売の成功を受け、村人に農閑期を利用しての筆づくりが有利であると勧めてまわり、そして1850年(嘉永3年)上野八重吉が出雲から筆づくりの職人を雇い入れ、筆の製造を始めたのが始まりと言われています。その後筆づくりは順調に発展し、特に明治末期から昭和初期にかけて全盛の時代を迎えました。以後、第二次世界大戦中に職人が多数徴兵に取られたことなどによる衰退の時期もありましたが、戦後は徐々に筆の需要も盛り返し、川尻筆産業も上昇気運に乗り、今や全国で一定の年間出荷量を占める名産地へと成長を遂げています。

 川尻筆の特徴は、「練り混ぜ」という毛混ぜの高度な手法を用います。工程の最初から最後までを分業せず1人の職人が担い、1本ずつ丁寧に手作りされているのです。そのため大量生産には向かず効率が悪いように思われますが、反面で高水準の品質を保っています。その高品質な川尻筆は現在も尚、書道家や日本画家の緻密な要求にも十二分に応え、多くの専門家の方々に愛用されています。

 もともと書道用の筆として愛用されてきましたが、最近では書道家完全オーダーメイドや化粧筆も作られており、幅広い需要に対応しています。中でも、書道家完全オーダーメイドで制作する文進堂畑製筆所は日本随一の筆として書家が信頼を寄せています。その理由は、皇室からも認められる数々のタイトルを受賞してきた経歴のみならず、希少な原毛をつかい、一子相伝で筆に命を吹き込む技を受け継ぎ、進化を続けているからです。2011年に世界で初めて制作した川尻筆の技法を使った化粧筆に続き、新たな川尻筆の技法を用いた「パウダー専用化粧筆」を制作しました。コンセプトは「世界的に希少な天然毛を贅沢に使い、素肌のような透明感を叶える、本能が求める化粧筆」。新たに制作した化粧筆は、「いい化粧筆を使いたい」というニーズがあるプロから一般層をターゲットに制作され「5年後、10年後の肌にも良い影響を与えるのではないか」というヘアメイクアーティストからも信頼を得られている。川尻筆は、多くのプロフェッショナルの方々にも信頼され愛用され続けている。