金属箔

変色せず実用にも耐え得る金紙を、日本で初めて製品化した、広島県の「歴清社」は、1905年に「久永清次郎商店」金紙工場として創業するのですが、当初洋金の屏風は簡単には作れませんでした。
色は本金と遜色のない洋金で、4倍の厚さがあり、本金の0.1ミクロンに比べ、洋金は0.4ミクロン。また和紙の上に貼るには専用の接着剤が必要で、その上洋金は変色しやすく、指で触れると触れた部分の色が変わってしまいます。これを防がなくては売り物になりません。創業者は10年の歳月をかけて洋金に合った接着剤とトップコートを開発しました。これにより、安定して良い商品を作る事が出来るようになり、その後、時代の変化によって、新しい素材や分野にチャレンジしながら現在に至ります。

 元々創業者は、浅野藩と共に広島にやって来て根付いた商人、刀剣商だったそうです。
しかし明治の廃刀令によって刀剣を扱う事が出来なくなったため、新たな商品を売買する必要に迫られました。そのため香炉、掛け軸等の調度品を扱っていたのですが、その中で一番引き合いのあるのが金屏風。ホテルや宴会場のない時代、旧家や大地主などの階級は家でお祝い事を行うため金屏風は必需品でした。ならば自分で作ってしまおうと考えましたが、京都製にはどうしても負けてしまうという課題に直面…。そんなとき、かつて久永家のあった堀川町のご近所の仏具屋さんに額縁屋さんを紹介され、この課題をクリアするヒントを得ます。額縁の金色は本当の金を使っているのではなく、洋金(銅と亜鉛の合金)を使っているとのことでした。
 その後、本金箔と同様に変色せず実用にも耐え得る金紙を日本で初めて製品化しました。以来、評判が評判を呼び、国内のみならず世界にも販路を拡大。神社仏閣はもとより、高級ホテルや美術館など様々な場所で金属箔が活用されています。

 これまでの壁紙の分野では、問屋の望む商品を作るということから逸れることが難しかったとのことですが、アパレルなどの異業種であれば逆提案がしやすい事、そして自由で新しい提案が出来る事に気付き、紙以外の素材への箔押しも現在展開されています。例えば、某有名ブランドの店舗テントにロゴマークの箔押し。テントのような撥水素材への箔押しは難しいに違いないのですが、野外での使用に耐える実用性があり、かつ美しい仕上がりで受注を獲得したとのことでした。
金属箔は、時代の変化や戦争という大きな危機を乗り越え、現在もチャレンジし続けています。