熊野筆

熊野筆とは、広島県安芸郡熊野町で作られる筆の総称です。その歴史のはじまりは、江戸時代末期といわれております。農地が少なかった熊野では、農閑期になると吉野地方 (現在の奈良県) や紀州地方 (現在の和歌山県) へ出稼ぎに行く農民が多く、その帰りに奈良・大阪・兵庫で筆や墨を仕入れて各地で行商を行っていました。しだいに熊野でも筆づくりが行われるようになり、技術を習得した人々の技術指導によって筆づくりが本格化していったそうです。
 明治時代に入ると教育制度の普及により毛筆の需要が高まったことから生産量が拡大していきます。東京、大阪、奈良などでは、近代産業の発展とともに次第に筆作りが衰え始めましたが、熊野には新しい産業が入らず、筆作りが地域を支える産業として発展していきました。しかしその後、第二次世界大戦が起こると、原料や戦争で労働人口が減少し、一時は筆作りがほとんど出来なくなってしまいましたが、1958年に学校での書道教育が復活。化粧筆や画筆と、熊野筆の需要はさらに高まっていったのです。近年では海外で化粧筆の品質が認められ、海外大手化粧品メーカーのOEM契約が増え、化粧筆の生産・出荷数が急増するなど、熊野筆は現在も国内のみならず世界中から愛され続けています。

 熊野筆は、穂先の毛を切り揃えずにそのまま仕上げていくため、毛先が繊細で適度なコシを持ち合わせていることが大きな特徴です。製造工程は、約70の工程あり、原料は山羊、馬、鹿、狸、鼬(イタチ)、猫、豚などの獣毛を原料として生産されています。筆づくりの最も大切な工程は、材料の選毛と筆の性質に応じて混ぜ合わせる過程です。長年鍛え抜いた目と指先の感触を頼りに一本一本の筆を丹念に作りおり、職人の丁寧なものづくりが伝統的工芸品を支えているのです。

現在も、熊野町には今でも約90社ほどの熊野筆メーカーが軒を連ねており、24000人の住民のうち、約25000人が筆づくりに携わっています。10人に1人の割合で、町一丸になって現在も取り組んでいるのです。
さらに、アメリカ、ヨーロッパ、アジアなど世界各国に輸出されている熊野筆は、世界で活躍するトップアーティストからも絶大な信頼を得ており、毛の種類によって肌触りやメイクのノリが違うため、下地の種類や仕上がりのイメージによって筆を使い分けているそうです。2004年には当時としては全国的にも珍しい団体商標を取得し、2006年には熊野筆の統一ブランドマークも開発され、熊野で作られた製品である証として広くPRされています。熊野筆は現在も尚、世界中から愛されています。