宮島御砂焼

宮島御砂焼の始まりは江戸時代(1603年~)まで遡ります。この時代、安芸の国(現在の広島県西部)の旅人は、厳島神社御本殿下のお砂を道中安全のお守り(お砂守り)としていただき旅に出ました。そして無事旅から戻るとお守りの砂に旅先の砂を加え倍にしてお返しするという「お砂返し」の風習がありました。その御砂を使い、嚴島神社の祭礼のための杯などが作られるようになったのが御砂焼の発祥だといわれています。
徳川期にはこの御本殿下のお砂を混ぜた土で厳島神社の祭礼用の祭器が作られるようになり、神聖な御砂を使うことから「御砂焼」または「神砂焼(しんしゃやき)」とも呼ばれております。宮島御砂焼は縁起物として現在も、国内・海外と幅広い方々に愛されています。

宮島御砂焼きで使用されている粘土には、宮島の寺でおたきあげした灰を、砂とともに練り込み、職人さんが想いを込めて練りこんでいきます。御砂を焼物に混ぜる段階では、少量ずつ土に練り込み、均質に混ぜていきます。御砂がしっかり土に混ざり合った状態で成形し、化粧掛けを行いもみじの葉を剥がし、しっかり乾燥させ低火度で焼成したあとに透明釉を掛け、窯で本焼焼成して完成です。

その後も宮島御砂焼は、衰退と復興を繰り返しつつ、明治・大正・昭和時代を経て現代に至るまで、多くの人々によって受け継がれて来ました。現在では、大正期に創業した川原厳栄堂を皮切りに、山根対厳堂、昭和期に川原厳栄堂から独立した川原圭斎窯、この三つの窯元が宮島御砂焼の現代を担っています。宮島御砂焼というと、従来は素朴な色合いのイメージがありましたが、時代に合わせてより多彩な表情をみせてきています。ブルーやピンクなどの色をかけて焼いた商品や、現代のライフスタイルの中で気軽に楽しんでいただけるよう、遊び心のあるカジュアルなラインもお届けしております。
 最近では、宮島御砂焼に平和への思いを込めようと、挑戦し続けています。中でも注目を集めたのがランプです。ランプは、全国から平和公園に寄せられた折り鶴を宮島の寺でおたきあげした灰を、砂とともに練り込んで作っています。2023年3月には、岸田総理大臣がウクライナのゼレンスキー大統領に贈りました。作品を通じて平和への思いを世界に届けたいという職人さんの想いが込められています。
現在も、時代に合わせて新たな表情をみせつつ、宮島御砂焼は、国内・海外と幅広い方々に愛されています。