長江の渓谷から瀬戸内海へ
1970年代、畑義幸は故郷である瀬戸内海沿岸の町「川尻」を離れ、中国、長江の渓谷に向かった。比類なき品質の山羊毛を求め、野生の山羊の胸から採取した毛の塊を太陽の光に照らしながら何時間もかけて丹念にチェックし、世界最高級の書道筆となる最高品質の山羊の毛だけを選び出した。
義幸は18歳のとき、1930年に祖父が創業した筆の家業を継いだ。川尻町は近隣の熊野町とともに、日本有数の書道筆の産地として発展していた。手作業で毛を調合する「練り混ぜ」技法では、一人の職人が約70もの工程を経て、世界一厳しいとされる書家にふさわしい高品質な筆を生み出す。幼少期、農作業の手伝いがない時は、多くの時間を父の工房で過ごした義幸は、家業を継いだ時には、すでに数々の賞を受賞する筆職人になっていた。
極細でありながらコシとハリがある山羊の毛は、筆作りの金字塔である。しかし、山羊の毛は非常に扱いが難しく、熟練した筆職人でなければ手に負えない。父を超え、この希少な筆職人の仲間入りをしようと決意した義幸は、最高の材料を手に入れるために投資する必要があった。それが中国行きだったのだ。
義幸には先見の明があった。文進堂の羊毛筆は、現在も同じ長江渓谷の山羊の毛で作られている。環境の悪化や農法の変化により、入手可能な山羊毛の品質が確実に低下している中、文進堂が筆づくりに使っている50年前の山羊毛は、時間が経つほど品質が向上する。
妥協なき品質へのこだわり
瀬戸内海の島々を望む家に併設された小さなアトリエで、義幸は筆先の作業を進める。何度も毛を梳き、不揃いの毛束を抜き取る。素人目には、その毛先は完璧に見えるのだが、また梳かすと、さらに不揃いな毛が現れる。半世紀も前の貴重な山羊の毛が床に散らばる。これが真の品質の代償なのだと義幸はストイックに語る。毛先が完璧になるまで、何度でも何度でも、貴重な毛を必要なだけ捨てる。これが文進堂の工程の要である。妥協は一切ない。使用する素材から、製造工程のひとつひとつに至るまで、完璧でなければならないのだ。
文進堂の最高級筆は、筆運びやエフェクトを求める書家や画家のニーズに合わせてオーダーメイドで作られる。また、筆の扱い方に合わせて作ることもできる。一本一本、それぞれが異なり、芸術品なのだ。
ある筆のために、義幸は20年以上の歳月を費やした。どんなに時間がかかっても、想像しうる最高の筆を作ることだけが任務だった。黒澤映画の結末のように顧客は筆の完成を待たずにこの世を去った。この筆の金銭的価値は約3万ドルだったが、現在、芸術品として飾っている顧客の家族にとっては、アーティストとクリエイターの両方を体現したかけがえのない品なのである。
3代目から4代目へ
日本の伝統工芸の多くが存命の危機に瀕している。工芸品そのものの需要やありがたみが低下しているだけでなく、高齢化した職人の後を継ごうとする人が不足しているからだ。その点、文進堂は恵まれている。現在70代の義幸だが、息子の幸壯が少なくとも、もう1世代は一族の伝統を受け継ぐという。
父と同じように、幸壯もまた筆作りの伝統にどっぷりと浸かって育った。幼い頃から、さまざまな種類の毛の良し悪しを見極める遊びをし、父と一緒に何時間も工房で過ごした。家族の職業を継ぐのは彼にとってごく自然なことだと言う。「洗脳されたようなものかな」と彼は笑った。
幸壯は真っ先に山羊毛の筆から制作を始めた。彼の父親と話していると、「勘」という言葉が何度も出てくる。勘、または本能とは、簡単に教えられるものではなく、身につけなければならないものである。幸壯は父親と同じように自分の技術を学び、何千時間にもわたって素材と工程にこだわり、「勘」の感覚を養ってきた。幸壯と彼の父親は毎日9時から5時まで、ほとんど無言で並んで座る。指導となると、幸壯は父親から2種類のフィードバックしか受けたことがないと言う。「良い」か「良くない」かのどちらかだ。
文進堂、次の世代へ
私が文進堂と伝統的な筆作りの将来について義幸に尋ねると、彼は回答を息子に譲るかのように席を外した。それも無理はない。義幸は生涯をかけて筆の技術を極めただけでなく、今では入手不可能な材料を確保し、自分の息子が文進堂が誇る妥協なき筆の品質を追求できるようにした。これ以上、彼に何を求めることができようか。
幸壯は、父親が育った伝統的な世界と、幼い娘が育っている世界という2つの世界の狭間に立っている。彼は、伝統的な書道と日本国内での工芸品への評価を守るための努力と同時に、文進堂が商品と市場の両面で視野を広げる必要があると感じている。
この点に関してはマーケティングとプロモーションの役割を担っている姉の友里の協力も得ている。機械化、デジタル化の時代にあって、文進堂に代表される日本のものづくりの特徴である妥協のない手仕事の良さは、世界中に強くアピールされている。4年前、パリで開催されたワークショップでは、フランス人アーティストが文進堂の筆にたちまち魅了され、「初めて筆に命と魂が宿っているように感じた」と感激していた。彼らはまた、プロのメイクアップ・アーティスト向けの高品質なブラシの制作にも着手している。
また、別の活動として、文進堂は伝統的な筆作りに興味を持つ海外からの訪問者に工房を開放し、美しい筆を作るためにどれだけの技術と情熱が注ぎ込まれているかを直接伝えている。幸壯は、海外からインスピレーションを得ることもあり、書道を超えた芸術作品に自分たちが作った筆が使われているということに常に驚きと喜びを感じている。
5代目について、私は幸壯に、娘がバトンを受け取ることを想像できるか尋ねてみた。「そうですね、今の時代、子供たちには自分で進みたい道を選ぶ自由を与えなければなりません。」そして、しばらく間を置いてから、彼は微笑みながらこう続けた。「娘には、私たちがやっていることに興味は持ってほしいです。多少の洗脳ならいいかもしれませんね。」